歩み
江戸時代、東海道吉田宿の本陣・旅籠で賑わう札木町。 嘉永年間(1848〜53)には「若松屋」(現若松園)が札木町表通りに既に軒を出している。
札木町内会発行「郷土豊橋 札木町四百年史」より
明治二十七年十一月、若松園菓子製造所創業。
明治四十三年 愛知県統計書(四)より
このころより現在に至るまで、日本三大稲荷の一つとされる豊川稲荷さまに生菓子等を御用達頂いている。

新装開店の前日、豊陽新報に掲載
日露戦争後、豊橋のお寺に収容されていたロシア人捕虜の要望に応じて、若松園がサイダーとアイスクリームを作ったという記述がある。
豊橋新聞社発行「昔はなし」より

「黄色のゼリーの菓子でスプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。口に入れると溶けるように美味かった。(中略)言葉でいくら説明しても、説明できるとは思われなかった。」「おぬい婆さんは豊橋のことを自慢しづめに自慢していた。(中略)毎朝、箱入りの見本を持って菓子の注文を取りに来る若松園のことや、(中略)豊川稲荷のことや、話はあとからあとから湧いて来て尽きなかった。(中略)こうしたことにおいては、洪作も同じ気持ちだった。」などと書かれている。
大正初頭ごろ、若松園本店の様子。
大正十年、若松園本店の様子。
昭和三年 天皇陛下御即位の折、献上菓として「ゆたかおこし」が誕生。「ちぎりまんじゅう」、「袖もよう」とともに豊橋名物として豊橋市より陛下に献上される。
昭和初頭、自転車で御用聞きに出発する従業員。
昭和八年、若松園豊橋駅前支店の様子。
軍都として栄えた豊橋に演習のためタンクが停車している。
昭和十四年十月一日、若松園喫茶部が出した新聞広告。
豊橋喫茶組合広告に掲載
昭和二十年六月二十日、若松園喫茶部が豊橋大空襲で消失。
昭和二十九年四月、「ゆたかおこし」が全国菓子大博覧会にて特等賞を受賞。
昭和六十三年七月三十一日、豊川支店が開店。
平成十八年、高円宮妃殿下が豊橋市政百周年祭に御来豊され、若松園の上生菓子と干菓子をお召し上がりになられました。
平成十九年、静岡県長泉町クレマチスの丘「井上靖文学館」の井上靖生誕百年記念として「黄色いゼリー」を復刻、販売。
平成二十年四月、豊橋駅ビル「カルミア」にカルミア豊橋店がオープン。
平成二十二年、弊社女将デザインのキャラクター商品「栗ぼうや」発売。
平成二十四年一月、若松園ホームページスタート。
令和二年一月、若松園ホームページをリニューアル。
創業江戸の
御菓子司若松園
御菓子司若松園